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使命の物語(プロフィール)



「エラい助かったワ!ありがとう!」
と、笑顔になっていただけることが
わたしのよろこびです。


こんにちは!滋賀県大津市で、
「話しやすくて、安心して相談できた!!(^∇^)」
と言われる地元のふすま屋さん!!
の森重幸晴です。

お客様から


「どんなことでも丁寧に聞いてくれるし、

 ほんの小さなことでも嫌な顔せずやってくれて、
 ホンマ、しげさんに頼んでよかったわ!ありがとう!」

と言われる地元のふすま屋さんを心がけています。





なぜ、私が【勇気】を使命に掲げているか、
聴いていただけますか?




『お父ちゃんとお母ちゃんの声が聞こえる・・・』

私の家は、自宅で婦人服の縫製をしていました。
父は高校中退後、広島から大阪にきて婦人服の縫製工場に勤めていました。
「負けるもんか」と、」どんなことでも挑戦する人で工場の中でもいろいろな縫製の方法を考え出しました。
そして、几帳面でもあり縫製については仕事をきっちりと仕上げる人でした。そんな父を職人としてとても尊敬していました。
母は結婚後、広島から大阪へきて父と同じ工場に勤めました。仕事をしながら家事をこなしていく母をすごいなと尊敬していました。しあわせ
また母は、「父の仕事を継いで」と言うことが多かったのですが、それをあたり前のことと思う自分と、重荷に感じる自分がいました。

父は、私が生まれてから、大阪の門真市に家を買い、その後、独立して婦人服縫製の工場を始めました。

1階建ての自宅の六畳二間を作業場にしてミシンを2〜3台と、アイロン台などを置いていました。私が小さな頃は、自宅の縫製工場が遊び場でした。私たちが夜、寝るときにはミシンの足元に布団を敷いて眠りました。
夜遅くまで両親が踏むミシンの音を、枕元で子守唄がわりに聞きながら眠っていました。普通なら、うるさいと感じますが、両親の踏むミシンの音が心地よくてとても幸せな気持ちになれる瞬間でした。

「お父ちゃんとお母ちゃんの声が聞こえる・・・しあわせ」




私が幼稚園の時の参観でのことです。

親子で工作をする時がありました。先生から課題が出されて、配られた材料で工作を親子で作っていきます。時間が経つにつれて、みんなの工作物ができ上がっていきます。
私も母と一緒に工作をしますが、マイペースな私には、なかなか仕上げることができません。そんな私に母は、

「他の子ができてるのに、なんででけへんの」

その時、ひどく怒られた気持ちでした。
この時から

「自分はダメなんや」 「自分にはでけへんのや」

と自分のことを否定的にキメツケてしまうようになりました。そして何かことがある度に「どうせアカンのや」と、目の前のことから逃げ出すことが多くなりました。




小学校にあがると、両親の手伝いをするようになりました。両親は、子供が家の手伝いをするのはあたり前くらいに思っていました。
父が、車で内職さんに仕事の配達で出かけるときには、いつも一緒について行きました。150cm角の大きな風呂敷に包んだ荷物を7〜8個車に積み込んで、それぞれ内職さんに配達していました。


「ここは今晩、焼き魚やな」 「カレーの匂いや!!食べたい!!」

など、夕飯の支度をしている家から流れてくる匂いに、たわいのない話をしながら大きな荷物を肩に担いで一緒に運んでいました。内職さんまわりの手伝いでついていってる私に何も言わない父でしたが、夜の街を父の運転する車に乗っているだけで楽しくて、父の手伝いができることがうれしかったんです。

父は毎日、1日の作業のあと、夜遅くまで内職さんや外注さんに仕事を配達して回っていました。

そんな父を見て、

「お父ちゃん、すごい頑張るな!!」

と思いましたし、そんな父をとても自慢に思いました。
根っからの職人さんの父は、内職さんや外注さんのところに行っても世間話などはあまりしませんでした。軒数を回る効率もあるのですが、世間話をあまりしなかったため


『すごくまじめな人やな』

と内職さんたちから言われていました。作業の説明だけをしていることが多く、私も、もう少し、くだけて軽い世間話でもすれば、みんなとなじみやすいのにと思いました。

配達の手伝いのほかに学校の春休み、夏休み、冬休みには、大きな芯貼り機を使って服のパーツの芯貼りを手伝いました。高温で立ちっぱなしの作業で大人でも大変な作業ですが、タイムレースのゲーム感覚で楽しんで手伝っていました。




『「ダメや」「できない」そんな自分を変えたい』

小学6年生の時に、近所の友達から少年野球に誘われました。少年野球ですので、低学年から高学年までいろいろな仲間がいます。私よりも経験のある低学年のチームメイトを見ていると、


『経験のない小6の自分には、彼らのようにうまくでけへんなぁ。卒業までに彼らに追いつけへんなぁ〜』

 
と、「どうせアカンのや」と逃げ出す『イヤな自分』を見てしまいました。
それを理由に、チームに入って1ヶ月ほどで野球をやめてしまいました。



中学生になり、友人に誘われてバスケット部に入部しました。練習は厳しかったですが、楽しんでやることができましたし、レギュラーにもなりたいと頑張っていました。
夏休みに入り家にいる時間が増えてくると、母から

「家にいるんやったら仕事手伝って」

と言われ、言われるままに家業の手伝いをしていました。両親の困る顔を見たくない思いと、仕事の手伝いが楽しかったので部活の時間になっても

「部活に行く」

と言えませんでした。小学校の頃からあたり前のように家業の手伝いをしていましたが、このことがきっけで中学1年の夏休みで部活を辞めてしまいました。

「家業の手伝いをしたい!」

という思いもありましたが、午後からの部活に行く前に始めた作業を途中で止めるとも言えず、ダラダラと作業を続けていたことも理由の一つです。優柔不断な自分がイヤになった瞬間でもありました。自分の意思で部活を辞めましたが、部活を続けられなかった自分をことあるごとに否定していました。

そんな自分を変えたいと、中学3年の時にクラス委員に立候補しました。

「自分に投票してくれる人なんかいない」

この時も「どうせアカンのや」と思いながら投票結果を待っていると、1票差でクラス委員に決まりました。投票結果に驚くとともに

「こんなに自分のことを見てくれてる人がいるんや!」

それを実感できた瞬間でした。そして不思議なことに気がつきました。
自分が行動するように変わると、つられて回りの状況も変わりはじめました。

この頃から、いい意味での自己主張が積極的にできるようになりました。



高校では、軟式テニス部に入ってクラブ活動をしました。
小学生での野球、中学生でのバスケット、これらを辞めたことに後悔の思いがありましたので、

『高校での部活は、卒業まで続けよう!』


と決めて部活に専念しました。

同じ部活には、幼稚園の頃からの友人のK君も入りました。
K君は積極的に部活をする人で、試合でも

「ぜったい勝つ!」

と一打一打に気持ちを込めて試合をしていました。K君の積極的に部活に打ち込む姿を見て、私も積極的に部活をすることができました。レギュラーにはなれませんでしたが、一生懸命に部活を続けることができました。



高校を卒業し、本格的に家業の婦人服縫製業をはじめました。これまでと違い、遊びから本職へと変わる中、わからないことや辛いことがたくさん出てきましたが、それらのことも楽しんで仕事をすることができました。作業に慣れてくると工程管理や渉外など工場運営にも携わるようになりました。
時代の変化とともに国内生産から国外生産へと生産拠点の移動が始まり、取引先の新規開拓に取り組みますが営業について不勉強なため仕事をいただくことはできませんでした。
職人気質でいいものを作れば稼げる時代に生きた父と、営業次第で稼ぐ時代を生きる自分との意識の違いを痛感したのもこの頃でした。そして、2001年に家業を廃業しました。
私は縫製業を廃業し、冷凍食品の配送業に転職しました。転職後3か月の時にトラックの荷台から転落し背骨を折る重傷を負います。治っても車イスの生活か、よくて杖をついての生活を覚悟してください。復職は無理かもしれない。と言われる中、家族に心配をかけないようにしようと「必ず復職する!!」と自分を信じてリハビリに励みました。この後9か月休職して復職することができました。



『私がこの仕事をしている理由』

2009年3月に、大阪の門真市から滋賀県大津市に引っ越しをした私は、工場への派遣社員として派遣会社に就職しました。閑散期での解雇のたびに見ていた求人チラシで襖張り替えのフランチャイズ募集の記事を見つけました。ホームページなどでフランチャイズの情報を集めるうちに

「地域の皆さんのお役にたてることを想像すると、すごくワクワクしてくる!!」

という思いでいっぱいになり、地域の皆さんのお役に立ちたいと思いました。
フランチャイズに加盟後、フランチャイズ本部での研修を受け、2014年12月15日に襖張り替え専門店を開業しました。
年始に向けての準備が始まりだすこの時期、まだ知名度が無かったので新聞にチラシの折り込みをしても反響は少なかったです。

チラシのポスティングをしたり、お店のロゴ入りのジャンパーとポロシャツを着て近所のスーパーへ宣伝のために出かけたりしました。1月、2月と、お客様からの注文が少なく苦しい状況が続きます。売上も上がらず廃業も考えながら本部にいろいろと相談をしました。

やがて3月になると、仕事の依頼も徐々に増えていきました。そんな頃に見積依頼をいただいたFさんに出会います。お宅におうかがいしてお話をしているうちに

「Fさんのお役に立ちたい!!」

と思いはじめている自分に気がつきました。
襖張り替えのフランチャイズに加盟するときに思った気持ち

「地域の皆さんのお役にたてることを想像すると、すごくワクワクしてくる!!」

そのことを思い出すことができました。さらに、Fさんがこんな風にお話くださいました。

「しげさんは、人当たりがエエなぁ。 話しやすいし、真面目に仕事をしてくれるから安心や」

商談中にいただいたその言葉のあとに

「あんたの人柄やな・・・」

そうも言っていただきました。
なんとも自分にはもったいないお言葉ですが、自分を信じてやってきて良かったと思った瞬間でした。Fさん宅を訪問してから約2時間ほど、時間がたつのも忘れるくらいにFさんとお話をしていました。

襖張り替えのフランチャイズに加盟するときに思った


「地域の皆さんのお役にたてることを想像すると、すごくワクワクしてくる!!」

という気持ちを思い出させていただいたFさんに、感謝の気持ちでいっぱいです。

「どうせアカンのや」とキメツケたり、自分の意思や考えを言えずにいたことがとても悔しくて、自分を変えようと努力しました。そして、自分が変わればまわりも変わることに気がつくと、自分を信じられる気がしました。

自分のことが信じられないから「どうせアカンのや」とキメツケたり、勇気がないから自分の意思や考えを言うことができなかったんやと気がつきました。
そうした自分の経験から、お客さまにも自分と同じ思いをさせてしまってないのか?
そう思うと、勇気を持ってお客様の考えや意見をしっかり聞かせていただこうと思いました。

私は、自分を信じて行動できる【勇気】を使命と決めて、お客様が安心してご相談していただける「地元のふすま屋さん」としって地域の皆さんのお役に立てるように一層努力していきます。




「こんなこと頼んでエエんかな・・・」
「張り替えとちゃうけど、やってほしいなぁ〜・・・」

とか

「電球が切れてんねん。頼める?」
「テレビのリモコンが見つかれへんのや。捜してほしい!」
「プリンターを使えるようにしてほしい!」
「庭に玉石を敷いてほしい」

などなど・・・
そんなお気持ちでおられる方のために
『とことん親切』
にすることを心がけてお客様から満面の笑顔で

「エラい助かったワ!ありがとう!」
と言っていただけるよう努力していきます。




 





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